大判例

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徳島地方裁判所 昭和38年(わ)277号 判決 1964年3月03日

被告人 森吉幸喜

大一〇・六・一〇生 無職

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある背広三つ揃二着(証二〇ないし二五号)懐中電灯一個(証二六号)は被害者Aの相続人に、婦人用カーデイガン一着(証三六号)は被害者横内クニヱにそれぞれ還付する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、肩書本籍地で山林田畑を所有し郵便集配等をしていた森吉忠太郎の二男に生まれ父母の許で兄弟姉妹とともに成育したが、無口内向的で学業思わしくなく、小学校を卒業して農業の手伝いをするうちやがて外へ出て近県各地で土工などをし、その間母と死別しまた軍隊を嫌い徴兵を忌避して朝鮮にまで出奔するなどのことがあつて、昭和一九年二月ようやく高知の部隊に現役兵として入隊したものの、在郷中の所為につき善通寺師団軍法会議で戦時住居侵入罪により罰金五〇円を科せられたうえ隊内で激しい私的制裁を受けて旬日にして脱走し郷里の大豊村などで放火等の犯行をかさねて同年五月前同軍法会議で無期懲役に処せられ父忠太郎はこれら所業を苦にして自殺した。その後右刑は懲役二〇年に減刑されさらに昭和三一年六月には仮出獄となつて郷里大豊村に帰り、服役中習い覚えた洋服仕立を業としていたが、結婚話が破れて投げやりな気分が生じまた知人に誘われた競輪が病みつきとなり金銭に窮するようになつて近くで強窃盗をはたらき、同年九月高知地方裁判所で懲役五年に処せられ、仮出獄も取消された。しかし刑務所では成績良好で洋裁訓練の指導補助などをし昭和三四年六月には当初の懲役刑を一五年に減刑され、次で昭和三八年九月二五日以上両刑について仮出獄を許され、作業賞与金等四万円近い金を貰い姉の出迎えをうけて出所した。そして高知保護観察所に立寄り翌二六日郷里の弟方に一旦落着いたもののにわかに周囲になじめず、高知市や同県下安芸方面で洋服仕立業を営む知人を頼つて身の振方を決めようと思い、上記金員を持つて同月二九日出掛けたが途中何となく気おくれがして仕事をする意欲もなくなり、郷里へ戻る考えも起らないままあてもなく徘徊するうち、所持金の窮乏をおそれまた次第に自暴自棄的な気持になつて夜間人家の少いところを選び兇器を用意するなど逃亡の確保をはかつて後記犯行を順次累行するに至つた。

すなわち、

第一、昭和三八年一〇月二日午前一時三〇分頃、窃盗の目的で高知県中村市右山一、九五五番地食料品販売商原豊子方に家人の寝静まるのを待つて裏側窓ガラスを引き開けて侵入し、障子に唾で穴をあけて長男関一雄(昭和四年五月二六日生)とその内妻が四畳半の間で熟睡している模様を確め、その室で金品を物色したうえさらに隣の豊子らの寝室へ立入ろうとしたものの、その際或は同人らに気付かれ騒がれて一雄に退路をふさがれるようなことが起るかもしれないと懸念し、そのときはこれを殺害して安全に逃げねばならぬと考え、一先ず土間へ降りさきに眼をつけていた同家菜切庖丁(証一号)を取り出して一雄の睡眠状態を再度確めるべくその枕許へ這い寄つて行つたところ、たまたま同人が寝返りをうつて被告人の方を見るような恰好をしたので突嗟に気付かれたと感じ、逮捕を免れ罪跡を湮滅するため殺意をもつて右菜切庖丁で同人の前胸部を一回突き刺し遁走したが、結局加療約三週間を要する右前胸部刺創等の傷害を負わせたにとどまつて殺害の目的を遂げず、

第二、同月八日夜寝場所を求めて同県高岡郡中土佐町久礼七、七五八番地の一久礼小学校に赴き、翌九日午前二時頃電光のもれている使丁宿舎に、前同様金品盗取の目的および騒がれたときの用意に戸口前南側の物置棚の上に薪割用の斧(証四号)と鎌(証五号)が置いてあるのを確認し暫く様子を窺つたうえで裏側ガラス戸を開けて侵入し、四畳半の間に就寝中の使丁乾市尾(大正二年一〇月一四日生)の枕許からその所有の現金三五〇円を窃取して室外へ出ようとした際、同女が物音に眼ざめて起き上り叫び声をたてたので、逮捕を免れるため急いでその胸部を手拳で数回突きとばし、更に頸部を素手で絞めつける等の暴行を加えて黙らせ土間へ降りて帰りかけたところ、再び後ろから大声で助けを求めて叫ばれたため、このまゝでは安全に逃げられないと考え遂に殺害を決意して直ちに前掲斧を取つて戻り、危険を感じて右四畳半の間押入れの中へ逃げ込もうとしている同女の頭部等を背後から斧で乱打し、よつて間もなく同所において同女を頭部割創による出血のため死亡させて殺害し、

第三、右犯行後丸亀市の競艇に行つて数千円の損失をかさねたことが加わり、金品を強取する積りで近郷の寺から勝手に持出した薪割用斧(証一三号)を携え、恰好の家を探して徳島県三好郡池田町内を歩くうち、同月一四日午後一一時頃同町字○○○○、××××番地の山腹の一軒家である浄水場管理人A(明治四一年一月二〇日生)方に至つて実行を決断し、騒がれたときは直ちに家人を殺害しようと考え指に布切れを巻き指紋を残さないようにして右斧を携帯したまま同家東側のガラス戸を引き開け侵入し、Aとその妻B子(大正二年一月二六日生)が就寝している三畳間に立ち至つたところ、Aが眼をさまして叫びとがめ起き上りかけたのですぐさま殺害すべく同斧で頭部に一撃を加え、続いて気配に気付いたB子ともども同様斧でその頭部、顔面、頸部等を繰り返し強打し、隣の六畳間に寝ていたAの長女C子(昭和八年四月一八日生)、三女D子(昭和二四年一〇月一六日生)、C子の長女E(昭和三三年一二月二四日生)、長男F(昭和三六年四月一六日生)の四名中、物音に眼ざめたC子が驚愕して突嗟にFを抱きしめ悲鳴をあげるやたちまち皆殺しを決意して踏みこんで行き、身をよぢつて兇刃を逃れようとし或は泣き或は無心に眠つている同人らの頭部、顔面等を斧をふるつて次々に力一杯乱打し、よつてD子には加療約三ヶ月を要する顔面、頭部割創、頭蓋骨骨折等の傷害を負わせたにとどまり殺害の目的を遂げなかつたが、Aを頸部割創にもとづく左頸静脈切断による出血のため、C子、EおよびFを頭部割創による脳挫滅のためいずれも間もなく同所において、B子を翌一五日午後四時一〇分頃、同町字シマ八一五番地県立三好病院において左顔面割創による頭蓋底骨折によりそれぞれ死亡させて殺害しなお右兇行に続きしばらく戸外物置にひそんで騒ぎを聞きつけて来る者がないのを確めたうえ引き返してC子所有の現金三五〇円在中の財布を強取し、次で抵抗不能の状態にある瀕死の同女を強いて姦淫し、更に押入れなどを物色してA所有の男物背広三つ揃二着(証第二〇ないし二五号時価計一五、〇〇〇円位)、懐中電灯一個(証二六号)を強取し、

第四、同月一五日午後九時頃強盗の目的で覆面して同町西山字立谷二、四八五番地の三日用雑貨品販売商大上徳(昭和五年一〇月一四日生)方に至り、店番をしていた同人に対して前記A方の犯行に使用した斧(証一三号)を示しながら「わしは、ゆうべ、池田で人殺しをして来たんじや、金を出せ。」等と言つて脅迫し、その反抗を抑圧して同人所有の現金二、〇〇〇円および菓子三袋(時価約一五〇円)を強取し、

第五、彷徨を続け所持金も残り少くなつて同月一九日またもや強盗を思い立ち、もし家人に騒がれたときはこれを殺害逃走する積りで近くの小学校からつるはし(証三四号)手斧(証三五号)を無断持出したうえ夜の更けるのを待つて翌二〇日午前三時頃、香川県三豊郡豊浜町大字箕浦甲一、三二六番地日用雑貨品販売商横内芳政(昭和二年一一月六日生)方に裏西側のガラス戸を引き開け侵入し、所携の風呂敷で頬かむりして店や中六畳の間で同人およびその妻クニヱ(昭和六年四月三〇日生)らの所有または管理する女物カーデイガン一着(証三六号、時価約一、五〇〇円相当)パン五個位(時価約六〇円相当)、現金約一七〇円を盗取し、かたわら有線放送の線を切断してなおも金品を物色すべく同人ら家族就寝中の奥六畳間の気配を窺い忍びこんだ時、物音に気付いたクニヱが起き上ろうとするのをみてたちまち殺害を決意し、携行していた右つるはしでその頭部等を続けざまに二回殴打し、悲鳴に眼ざめた芳政が起き上りかけるや同様その顔面を一回殴打し更に振りかぶつたところ、必死の同人に組みつかれてつるはしを取り上げられあわてて逃走したため、クニヱに対し全治まで約一ヶ月を要する頭頂部挫創、頭蓋骨骨折等の、芳政に対し同様約二週間を要する左頬部挫創等の各傷害を負わせたにとどまつて殺害の目的を遂げなかつたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示第一および第五の各行為は刑法一三〇条、二四〇条後段、二四三条に、判示第二の行為は同法一三〇条、二四〇条後段に、判示第三の各行為は同法一三〇条、二四〇条後段、二四三条、二四一条前段(以上一三〇条該当の所為につきなお罰金等臨時措置法三条一項一号)に、判示第四の行為は刑法二三六条一項に各該当するが、判示第三のC子に対する強盗殺人と強盗強姦とは一個の行為で二個の罪名に触れる場合であり、また以上住居侵入と各強盗殺人、同未遂、強盗強姦との間には手段結果の関係があるので同法五四条一項前段、後段、一〇条により結局以上それぞれにつき重い強盗殺人、同未遂(判示第三第五については犯情によりC子、横内クニヱに対するものを重いと認める)の刑で処断することとし、所定刑中第一第二第五は無期懲役第三は死刑を各選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、右C子に対する強盗殺人罪について被告人を死刑に処することにより同法四六条一項を適用してもはや他の罪については刑を科さないこととし、押収してある背広三つ揃二着(証二〇ないし二五号)懐中電灯一個(証二六号)は判示第三の、婦人用カーディガン一着(証三六号)は判示第五の各犯行の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから刑事訴訟法三四七条一項により主文第二項掲記の被害者またはその相続人にそれぞれこれを還付しなお訴訟費用は同法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件各犯行時被告人は心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあつたと主張する。しかし被告人は知能も普通の下程度で劣等感と内閉性が目立ち、自己中心的でしかも自信や情性の欠乏興奮性等の性格偏倚を有するものではあるが、平常殊に前刑服役中の行動に特段の精神病的異常の徴表は全然認められず、またそのような遺伝的負因もみうけられないうえ、本件各犯行についても判示のように場所や時間を選び、兇器にも細心留意して時に顔や手を覆い電話線を切断し、また靴跡や賍品の処理にも気をつけるなど発覚逮捕の予防に周到な配慮をめぐらし、犯行およびその前後の模様も詳細且つ明確に記憶供述しているのであつて、当時刑事責任能力を否定または限定するような精神障害があり是非善悪を弁別行動する能力を欠如ないし高度に減退していたものとは到底認めることができないので、上記主張は採用し得ない。

(量刑について)

本件各犯行は、自己の物欲のため何らかかわりのない平和な家庭に押入り、しかも終始注意深く計劃的に反覆敢行されたもので動機に酌量の余地なくその態様には人命蔑視の甚だしいものがあり、特に判示第三A方の犯行に至つては殆んど抵抗する力もない婦人幼児まで躊躇なく大きな薪割用斧でめつた打ちにして惨殺してその一人を瀕死のうちに陵辱さえしているのであつて、被害者や遺家族はもとより附近住民の蒙つた苦痛不安ははかりしれないものがある。被告人が多感な青年期の大半を軍国主義と刑務所という異常な時代環境の中で過したことは一応諒としても、それはあながち被告人のみのことではなくまたこれまで更生の機会もあつた筈で、記録上看取される有利な情状を斟酌考慮に入れても本件殊に第三事実の罪責の重大さを軽減するには足らず、既述の如く死刑選択のやむなきものと判定した。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 黒川正昭 浜田武律 磯部有宏)

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